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先日、2chとニコニコ動画の機能と構造について少し触れました(2chとニコニコ動画についての考察1)。
今回はこの考察部分をもう少し深め、ユーザがそれぞれにアクセスする方法の差異について考えたいと思います。 前回私は、ニコニコ動画は、語られているもの(アクション)とそれについての反応(リアクション)の合体であるがゆえに、2chの実況板の理想的な延長(或いは進化形)であるという風に言いました。そしてその構造は、結局はテレビ放送の影響が強く根付いているものだとも言いました。つまり、他メディアに対するニコニコ動画の近似性や強化点について語ったわけですが、今回は、それでも尚ニコニコ動画が決定的に持ちうるシステムの独自性について考えたいと思います。 前回も述べた通り、ニコニコ動画や2chの実況板は、語られているものへの反応が一挙集中的に書き込まれるリアクションの場です。がしかし、両者は、「同時的かどうか」という点に関してだけは、決定的に異なるシステムを採用しています。このあたりのことを、もう少し具体的に書くと、たとえば、実況板で「ネタ」になるのは、テレビや気象現象など、広い範囲の人間が、同時に体験している事象=イベントでなくてはなりません。逆に言うと、レンタルしてきたビデオや、今自分が読んでいる本に対してスレを立てても、それは実況板としては成立しません。つまり、2chで熱狂を獲得するネタというのは、「多くのユーザが現在同時に共感可能なトピック」である必要があるのです。テレビやラジオの番組、地震や台風などは、この同時広範型のイベントにあたるわけです。実況板は、トピックがいま現在起こっている事象であるということ、そしてまたその事象の影響範囲が広く多くの人間にとって共感可能であるということに、強く依存したメディアであるということが言えます。 さて、これに対して、ニコニコ動画はどうでしょう。前回も述べたように、実況板とニコニコ動画は、いずれも各ユーザの「リアクション」をコンテンツの定義としている点で共通していますが、「時制と領域」という切り口で考えると、両者の持っている性質が少し異なる点に気づかれると思います。結論から言えば、ニコニコ動画の時制は非統一で、トピックとなる事象も広範なものである必要はありません。ニコニコ動画のトピックとなる映像は、現在進行形の事象では決してなく、もっと言えば、そこに追記されるコメントですら、現在のものではないのです。しかし、ニコニコ動画の映像には、過去に他のユーザが追記した大量のコメントが、まるで今その映像が流れている映像と併行するようにして流れていきます。つまり、ニコニコ動画とは、あたかも現在同時に広範のユーザがトピックに対して実況を行っており、自分がそこにコミットしているかのうような錯覚を与えるという奇妙なメディアであるのです。従って、実況板が同時広範型のメディアであるのに対し、ニコニコ動画は、疑似同時広範型のメディアであるわけです。 2chは、実況板であろうとなかろうと、現在性を土台にして成立してきたメディアだと思います。実況板では、板の<外>で現在起こっているトピックに対して、通常の板では、板の<内>で現在議題となっているトピックに対して、それぞれコミュニケーションが発生することで、ユーザのあいだになにかしらのコネクションや交通が生じていました(それでこそ“電車男”は成立し得たのです)。これに対して、ニコニコ動画は、一見、トピックの映像を共通項として持つユーザ同士が、コメントシステムによってコミュニケーションし合うメディアのように見えますが、内実はまったく違います。トピックの中でコメントはひしめきあっていますが、正確に言うとそれらは互いに共鳴し合ってはいません。なぜなら、自分が見ている時に書かれたコメントは、すべて過去に投稿されたものであり、自分のコメントが(過去の)他のユーザに影響するということがないからです。と同時に、自分のコメントが他のユーザとのあいだに交通を持つのは、もはや自分がトピックを見終わった未来のことなのです。実況板では、コメントを通じて他のユーザの存在を同時的に実感或いは共感することができました。しかし、ニコニコ動画において、他のユーザの存在とは、言わばすべてが幽霊的であり、いまここには実在しないものです。その空虚感は常にニコニコユーザの背後に流れているものです。 では、ユーザの関係を定義する、2chとニコニコ動画のこの差異を時制の概念を通して少し一般化してみたいと思います。2chはユーザの現在的な交通を可能にします。従って、「現在の他者から現在の自分へ」及び「現在の自分から現在の他者へ」という交通の方法がまず実現されます。もちろん、過去の書き込みを閲覧したり、自分の書き込みが未来に閲覧されたりする場合はありますが、それは閲覧に限られることで、ユーザ同士の交通が生じるのは常に現在、もしくは近過去から近未来にかけてのごくごくわずかなタームでしかありません。しかしそれ故に、ユーザ間で「双方向的な」コミュニケーションが可能になるという点が、掲示板の特徴でもあるのです。相手のコメントに対して同意したり反論したり、そしてそのコメントに対して相手や他の誰かがコメントをする、といった具合に、生成される書き込みの現在において各ユーザは並列的で、しかも顔を突き合わせている状態にあります。2chの中でも実況板は、これとやや事情が異なり、ユーザが互いに顔を突き合わせているという状況が生まれない場合もありますが、そこでは現在的事象の共有という担保を動機にして、双方向的なコメントの誘発のし合いが行われています。こうした意味において考えると、ニコニコ動画は、ユーザ同士の現在的な交通というものが極めて実現されにくいメディアであるということがわかります。そこには「過去の他人から現在の自分へ」という一方通行路があるだけで、自分から他人への働きかけや、その働きかけに対する働きかけ、というような交通が生まれることはほとんどないと言ってもいいでしょう(たとえば、ニコニコ動画では、他のユーザに質問したりできない)。 では、こうした状況はどうして起こるのでしょうか。それは、2chとニコニコ動画それぞれに流れている時間が、圧倒的に違うからなのではないかと思われます。2chのユーザが、現在的な交通を実現していること、これは、2chに流れている時間が、非常に「遅い」ことに起因しています。2chは、掲示板というひとつの容器=空間を用意することで、そこにユーザを集め、交通を可能なものとします。極端な話、誰かが書き込んでから、まる一日書き込みがなければ、次の日に書き込んでも、それは交通として成立するのです。これはコミュニケーションのあり方として非常に奇妙なものだと思います。何日にもわたってそこへ回帰可能であるということは、その空間に流れている時間が、非常に圧縮されたもの、抽象化されたものであることの裏返しです。事実、実況板のように、トピックとなる映像や音声の時間に強く依存しているスレッドでは、流れる時間が早く、ユーザ間のコミュニケーションというのは、通常の板よりも実現されにくくなります。しかし、それでもまだ、実況板が同じ空間を共有していることに変わりはなく、上記したようにその内部での交通が可能になる場合はいくらでも想定されます。 ニコニコ動画の時間は、トピックとなる映像に強く依存するという意味で、実況板に近い部分があります。実際、コメントに対してコメントを行おうとすると、あっという間に時間が流れ、いったいどの発言に対してリアクションしたのかが、とても曖昧になります。さらに、ここが2chと決定的に違う部分になるのですが、ニコニコ動画には、ある程度固定された容器=空間という概念がほとんどありません。たかだ数分、数十分しか流れない映像に、それほど長居するユーザはいませんから、同じ時間、同じ場所に集うという感覚は、ニコニコ動画にはないのです。つまり、そこには時間が抽象化された「場」あるいは「空間」という概念は生まれにくいわけです。みんなさっさと縫うようにトピックを回遊していってしまうのです。にも関わらず、ユーザがそこで、間接的な、或いは一方通行的な「やりとり」を行うことができるのは、先にも述べたように、そこに「コメントの集積システム」という擬似的な空間が立ち上がるからなのです。もはやいまここには誰もいないが、確かにかつてここに誰かがおり、しかもいまここに、そのバラバラだった誰しものコメントがいっさい集結して現れているという事態、これは本当に奇妙なことです。複数の人間が共有できる何かが「場」であるなら、もはやそこは「場」と呼んでいいのかどうかわからないようなものです。変な言い方をすれば、そこは、大勢の人間の存在を「自分一人だけが共有している」捩じれた場であるのです。 そもそもインターネットは、極めてローカルな情報交換の領域でした。ある特定のページに同時にアクセスしたとしても、他の誰かが同時にアクセスしているということは絶対にわからなかった。そうした単純なページ閲覧型のシステムから、掲示板やネトゲーやSNSのようなシステムが登場したときに、同時的かつ双方的な通信が広く応用されるようになりました。そこでようやく、インターネットに「集団」という概念が浸透したのだと思います。しかし、ニコニコ動画は、いずれのシステムとも微妙に違います。基本的にはページ閲覧型のシステムを採用しながらも、ユーザ間の接触を仮想敵に実現してもいる、しかし、そこで接触するユーザというのは、現在ではなく過去に所属するもので、さらに、流れている時間が速いため、コメントは投げっぱなしにされざるを得なくなり、「やりとり」と呼ばれるような垂直方向に構築されるコミュニケーションというものは実現されない。まとめるとそういうヘンテコな構造の中にあるのだと思います。 #
by tajat
| 2007-11-25 00:30
| 時事
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