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■感触あるデザイン
最近、触覚にうったえるようなデザインを施された、チラシやポスターをよく目にする。去年の夏頃JR渋谷駅で見かけたのは、大判紙の中に、千切って取れるようになった小型のフライヤーがいくつも付いているiPodのポスターだった。テレ朝が六本木に移転する際に心機一転したカンパニーのロゴデザインも、日テレやフジテレビの平面的なロゴと区別するように、エレクトロニックな動きをする立体的で触覚的なものだった。番組とCMの間、CMと番組の間にかならず画面の隅っこに登場する「アイツ」は、無機的ではありながらも決して無機質ではなく、むしろサイバークリーチャーのような動的な触覚を視聴者に植えつけている。あのロゴを見た人はたちまち、「あれ」ではなく「あいつ」「あのちょろちょろしたへんなの」と形容したくなるだろう。それまで対平面のイメージとしての印象しかなかったカンパニーマークを、「そわそわ」「ざわざわ」するような質感としてのデザインを導入することで、テレ朝のそれは見事に刷新したと言える。あのロゴを製作したのは、世界的にも有名なロンドンのデザインユニットtomatoで、彼らの作品には配色のストイックさとガリッとしたテクスチャーの荒々しさが常に共存する魅力的な作品ばかりだ。他にもGONZOのホームページのタイトルムービーや、マウスで触れると画面が揺れるアイコンなど、特にインターネット上では盛んにデザインの触覚作用が用いられている。そもそもあらゆる視覚はすでに聴覚や触覚を内含しているわけだけれど、ここ最近みられるそういった平面デザインは、そうした視覚に伴う触覚性を抽出しようとする企てに溢れている。 ■ぷちぷちポスター 先日、東急東横線渋谷駅のホーム内で、またひとつ触覚的なポスターを見つけた。確かシャンプーかトリートメントのポスターだったと思うが、青い髪をなびかせた外国人女性の横顔が映されたポスターで、その青い髪の部分すべてに、上からあの「ビニールのプチプチ」が貼り付けてあるのだ。誰もが一度は雑巾のように絞ってあの「ぶちぶちぶちぶち」という響きと感触を楽しんだことのある、もっぱら衝撃吸収材として利用される例の半透明ビニールである。デザイナー側としては、もちろん、「ぷちぷちとはじけるように潤う髪」の「ぷちぷち」部分を実際に現物として「ぷちぷち」させることでそのインパクトを強める意図があるわけだが、あんなものがホームの壁一面に張り巡らされているのを見て、そこを通る人間がそれを潰したくならないはずがない。実際、東急東横線のホームをジャックしたそのポスター群は、ぷちぷち部分がむやみやたらに潰され、なかには無残にもごっそり剥ぎ落とされているものまであった。その「残骸」は確かに、決して美しいものではない。はっきり言って、ぼろぼろで、汚らしく、いわゆる整髪剤やファッションブランドの広告らしいゴージャスさもインパクトも欠けてしまっていた。しかしその無残に潰され破かれた「残骸」なるポスターは、ある意味でデザインナー側の勝利だと言っていい。彼らの作為性が、通行人にそれを潰させることを駆り立てたのだ。もちろんだからと言って、それを潰した通行人が敗者なのではない。むしろ、通行人が「ぷちぷち」を潰す事によって初めて、あの広告のデザイナーは賞賛されるのである。 ■逆に、通行人の勝利 ぷちぷちポスターが育んだデザインの作用は、デザイナーの意図と通行人の心理とが見事に一致した例だった。言うまでもなく、都市デザインやPDや建築も、この作用を創作理念の根底に置いている。しかし街の中には、製作者の意図しないところに、デザインの作用が生まれる場合がある。例えば、高架下のコンクリート壁に描かれたスプレーペイント。横浜みなとみない近くの根岸線北側の高架下の壁画は、もはやただの落書きではなくポップアートの域まで達している。無論あれは、スプレーペイントされるために作られた壁ではない。だからこの場合、デザイナーの意図と通行人(ここでは壁画のアーティスト)の心理とが、ポスターのときのように一致してはいない。しかし、その場所を通行するストリートヤングによって、本来デザインの場として提供されるはずではなかった高架下が、たちまちキャンバスに変容し、文字通りきれいに塗り替えられてしまった。彼らは、一方的というべきか、もしくは自発的に、デザインの作用をそこに見出したのだった。彼らにとって、そのコンクリート壁は、もはや大量の車体や重い列車の重圧を支えるためのものではなく、シンナー入りスプレーを何度吹きかけても決して劣化しない格好のキャンバスになっていた。まるで、自然が作り上げた洞窟や植物を、キャンバスや楽器に仕立て上げてしまった古代文明人の姿を見るかのようである。自然は、壁画を残されるために洞窟を作ったのではないし、亀はその体に文字を刻まれるために甲羅を持っていたのではない。けれどかつての文明人は、それらが痕跡を残すために有効であることを、経験の中で知っていたのである。木や草では、保存するには風化してしまう恐れが強すぎた。古代人は、痕跡を残すのに最も適したもの――もちろんそこには呪術的な機能もあったわけだが――を試行錯誤しながら探していたわけで、彼らが石版や甲骨に痕跡の効用を見出したことは、歴史的/文明的観点からばかりでなく、彼らの文化的観点、つまり彼らの生きるかたちとして、劇的な発明であったと考えていい。はじめにあったのは、ただ何かを表現し、刻み、残したいという「欲望」であり、したがって、それが刻印される媒体や道具は必ず、それからしばらく後になって登場する。原始・古代では、紙やペンは、描きたいという「欲望」に先立ってあったわけではなかった。彼らは、内に生まれた「欲望」を実現するために、自然にある素材の中から、その作用を手助けするような要素を見出していったのである。書きたいと思う前から紙とペンが存在するというのは、それからずっと後世になってからのことである。幼児は、まず自分自身の意思によって動く身体の存在を知り、それが痕跡を残すことを、自分の意思であり、また「欲望」の痕跡であると信じ、歓ぶ。そこで用意されるのは、紙とペンである必要はない。カッターと柱でも、手と水でも、箸とご飯でも、なんでもいいのだ。「痕跡の欲望」に満ちた幼児は、所与としての自然界の中に、「描くためのもの」と「描かれるためのもの」というラベルをつけていく。ときには、「描くためのもの」が「描かれるためのもの」にラベルが張り替えられることもあるだろう。 ■野蛮と文明 なにも幼児や古代人だけに限らず、いつの時代の老若男女も、このアフォーダンス的ラベル貼り作業を日々行っているわけだが、決定的に重要なのは、それが「描くためのもの」「描かれるためのもの」として「社会的に」認知されたものであるかどうかである。子どもも、多くはペンで紙に書くが、それでもたまに、壁に書いたりする。けれど壁というのは、「描かれるためのもの」として「社会的に」認知されていないから、親は叱るのである。壁に文字を書く者は野蛮であり、家庭という名の社会体のルールと環境を乱す危険なやつだ、ということになる。高架下にスプレーペイントする人々も、これと同じ理由で、社会から野蛮扱いされるのである。しかし、上にも述べたように、そもそも文字を刻むためのものとして壁を見つけることが文明のはじまりであったのに、現代ではそれが野蛮扱いされてしまうという、一種の逆転が起きている。逆転というか、野蛮と文明とはコインの裏と表なのかもしれない。文明の枠組みやルールがあって、そこからはみ出すものは、野蛮になる。パブリックな場に許可無く絵を描くことは、ルール違反であり、近代国家にとって、体に泥を塗って狩りに出るような民族は野蛮なのだ。けれどそれを、世俗化され、近代化した社会の枠組みにだけ立って野蛮だとするならば、大きな間違いかもしれない。なぜなら、その民族にとって、自分の身体とは、狩りの「欲望」が「描かれるためのもの」であるからだ。それが彼らの社会にとっての基準であり、ルールなのである。「純粋無垢な身体」がまず先に与えられていて、そこに服を着せ、化粧をし、ピアスを開ける、というような考え方は、医学や科学が発達した近代以降のことである。それは「欲望」の前に白紙の紙が用意されているのと同じ状態とも言える。 ■革新的な表現の地平 革新的な表現のヒントがあるとしたら、おそらくここである。高架下の壁画は、少なくともそれが書かれた出した最初期の段階においては、革新的だった。彼らは、「欲望」の前から準備された紙やキャンバスやペンや筆を使うことなく、スプレー缶と高架下のコンクリートをそれぞれ「描くためのもの」「描かれるためのもの」に選んだのである。ここに、純粋に意識と対象とのあいだで生まれた「欲望」から出発した、古代人や幼児と同じ、劇的な発明の兆しが見られる。しかし、それが「流行」になってしまえば、その革新の革新たる所以はなくなってしまう。スプレー缶もコンクリートも、描かれるための道具と素材として「社会的に」認知されるからである。だから表現者は、いつも過酷であり、またそうでなければならない。つねに、自然の中に、街の中に目を向けていなければいけない。社会的規範の中で、別の作用に向けられていたはずのものを、次の瞬間に、また別の手段へと導くような機転が、要求される。その点で言えば、広告業界はよっぽどシビアにやっている。レシートの裏には広告、エスカレーターの手摺には広告、だ。そんなところにデザインの隙間があったのか!と驚かされることがしばしばある。彼らは目ざとい。目ざとくないと、今の広告界ではやっていけない。広告を流したいという「欲望」の前から準備されている白紙のキャンバス、例えば渋谷の巨大スクリーンやビル壁の諸々の広告スペースは、もう大手商品群に占拠されていて、入り込む余地がない。だから、吊革に広告!とか、車の車体に広告!とかいう発想が生まれるんだ。まったく、見習わなければならない。キャンバスに絵を描いて、劇場で芝居をし、展覧会場で写真展や美術展をやる時代は、誤解を恐れずに言えば、もうすぐ終わるか、もうとおに終わっているのかもしれない。松岡正剛風に言えば、20世紀は主題の世紀だった。21世紀は方法の世紀になるだろう。「芸術の方法」を考える時代は終わった、問題は「方法の芸術」をいかに生み出すべきか、まさにその「方法」を模索することだ。 ■
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by tajat
| 2006-01-04 02:23
| 美術
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