カテゴリ
以前の記事
2008年 05月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 03月 検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
「力強い「見者」の物語、視線が生み出す関係。」
アカデミー賞主要4部門制覇、クリント・イーストウッド監督作『ミリオンダラー・ベイビー』。娘との関係作りに失敗した初老の男、イーストウッド扮する名ボクシングトレーナー・フランキーと、お金にも家庭環境にも恵まれず、最後にして唯一の希望であるプロボクサーを夢見る女性、ヒラリー・スワンク扮するマギーが繰り出す物語。これは、いわゆるところの、退行と栄光を描いた「ボクシング映画」ではない。ロッキーでもなければ、明日のジョーでもない。これは、「見ること」を幾重にも貫き通してゆく、孤高の愛の物語である。 フランキーの一番弟子、ビッグ・ウィリーの試合風景から映画は始まる。相手のパンチを受けたウィリーの目の下には、ぱっくりと亀裂が入り血が溢れ出す。唐突に目に飛び込んでくる、ボクシングの試合風景をとらえたショット。ここで早くも鑑賞者の視線は画面の中の「目」に注がれる。そしてそれが、この映画のフィールドを駆ける一本の伏線の起点となるのだ。 フランキーが経営する、ダウンタウンの古びたボクシングジムの雑用係・スクラップ。彼はかつて第一線で活躍したプロボクサーであり、フランキーはカットマンとして彼の試合で傷の手当をしていた。ある試合で、スクラップは片目を潰し、中止するよう言ったフランキーの忠告を聞かず試合を続行し、結局その眼を失明させてしまう。鑑賞者は、彼のはじめての登場シーンから、その片方の眼窩に無残にもあてがわれた義眼に気付くだろう。そんな彼が、この映画の語り手を引き受けているのは、もちろん必然性があってのことだ。彼のたったひとつの片目は、老人スクラップとしての一人称的視点と、この映画の客観的語り主としての三人称的視点の両方を引き受け、ひっそりと息を潜め、けれど時に力強く輝きをはなちながら、フランキーとこの映画とを見守っている。片方の目は光を失っても、もう一方の目があれば、何かを明確に見ることが出来る。「相手を倒すには、目は一つあれば充分」なのだ。けれど、そんなスクラップの失明を、フランキーは未だに過去の出来事として片付けられないでいる。あの試合でスクラップが自分自身を抑えていたなら、すぐ後に控えたタイトルマッチに挑戦できるはずだった。カットマン出身だったフランキーが、トレーナーとして掲げる第一のルールは、試合に勝つことより、「自分を守る」ことを優先する、ということだった。 フランキーの指導を仰いで止まないマギーに、彼はようやく重い腰を上げる。名トレーナーの指導を受けたマギーは驚異的な成長を見せ、数々の勝利と共に、フランキーとのあいだに親子にも似た信頼関係を積み重ねていく。そして次第に、フランキーは、折り合いの付かない不在の娘に、マギーの姿を重ねてゆき、マギーもまた、パートナーであるフランキーに、死んだ自分の父親の影を見ていた。ここでちょうど、それぞれの抱える不運な宿命の末に、互いの姿を不在の空白に重ね合う視線劇が姿をあらわす。マギーは、孝行を喜ばない家族の元を去る。その帰り、レモンパイが美味しいと評判の店のカウンターに並んで座った二人は、映画の中で、始めて同じ方向に体を向けることになる。師弟として対面するのでなく。二人の背中はほとんど親子そのもののように捉えられている。 待ちに待ったチャンピオンマッチ、苦戦するマギーのまぶたからは、大量の出血。「血がにじんで目が霞むわ」と口にしたマギーに、フランキーは一言、「倒すには、目は一つあれば充分だ」。そのあと試合を優位に進め、強烈なフックでダウンを奪ったマギーだったが、コーナーに戻る途中、審判の目を盗んで仕掛けた相手の反則攻撃によって、頚椎を損傷し、全身麻痺を負って病院へと運ばれる。人工呼吸器を付け、ベッドに横たわったマギーは、しきりに試合の最後を悔やんでいた。「あそこで目をそらさなかったら…」、彼女は「見ること」を怠ったが故に、「自分を守る」ことを疎かにしてしまった。「自分の名を呼ぶ観客の姿が、記憶の中から消えてしまうのが怖い」。マギーはリング上で、観客から「見られる」ことに誇りを感じていた。自ら舌を噛んで自殺を図ろうともするが、とうとうその口までもガーゼで覆われてしまう。彼女が自由を許されたものは唯一、その両目だけになってしまった。そして、フランキーは、彼女の最後の希望を叶えるべく、人工呼吸器を外しにやってくる。互いに家族に見放された二人が、ゆっくりと見つめ合い、ひとすじの涙を流したマギーの瞳は、言葉よりも多くのものを語っていた。ついにフランキーは、彼女の首元へと手を伸ばし、そっと人工呼吸器を外す。そして、マギーの両目は閉じられ、「見ること」をやめた映画は、静かにその幕をおろすのだった。そして、窓越しにフランキーの背中を捉えた最後のショットは、登場人物の視点でも、観客の視線でもない、第三の眼へと、曖昧に引き継がれていく。
by tajat
| 2005-06-05 02:03
| 映画
|
ファン申請 |
||